平成7年11月3日金曜日
アメリカ社会で鬱病が忌み嫌われる余り、そのプラスの面が見過ごされているという話しに関連して、サターンが知恵と内省と老化と憂鬱の神であったことを引き合いに出し、鬱状態の経験がもたらす精神的な幅と深みを論じている。知恵と内省と老化と憂鬱がワンセットとなる必然性があるのか、文化的にワンセットとして扱われてきただけなのか、その辺のことは判断できないが、知恵や内省も確かにアメリカ文化ではあまり重要視されていない。
最後は、心の健康管理には森羅万象に宿る魂(soul)に敬意を表すること、つまり立ち止まって森羅万象を愛でる心のゆとりを持つことが重要という、アニミズムの奨励で終わっている。多神教の日本文化で育った私としてはそれ程違和感を感じない結論だけど、カソリックの僧侶として神学を学び、東西の宗教や哲学に造詣の深い著者Thomas Mooreの結論として読むと、キリスト教が現代社会で行き詰まっている理由の一つが見えてくる。
ホームページへ|日誌インデックスへ|お便りは eueda@hiwaay.net( 上田悦子)