ネットサーフ日誌:平成8年1月

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしく。


1996年1月31日 水曜日
  • 曇り

  • 速いもので、もう1月も今日で終わり。定期的に押し寄せてくる寒波で、昨日の夜からまた寒くなった。

  • クリスマスがファミリー・ホリデイだとすれば、スーパーボール・サンデイはフレンド・ホリデイなのだそうだ。という訳で、夫は友人を招いての観戦。私はプロスポーツに興味を失ってから久しい。もっともダラス・カウボーイズの圧勝は確実で、見るべきものがあるとすれば、高い視聴率を見込んでお金を掛けた宣伝だけというのがもっぱらの前評判だった。ピッツバーグ・スティーラーズは予想以上に健闘したけど、結局は大きなミスが2つ出て引き離される。

  • ホームタウン・コネクションのリンクを更新したり追加したりしながら、しばらく見ていなかったWEBページを見たりしていたら月曜と火曜がつぶれてしまった。

    日経マルチメディアという所に 第1回 インターネット・アクティブ・ユーザー調査集計結果というのがあったので覗いて見る。表17 WWW利用の目的に娯楽が53.3%で仕事と学術研究を合わせたものより多くなっている。

    この調査は消費者としてのインターネット利用者像を知るためのものだから当然かもしれないけど、WWWを使って個人で情報発信しているかどうかという項目は含まれていない。これまでにも、新聞や雑誌に読者の声として載せてもらったり、同人誌や自費出版などの方法で個人の情報を発信することができたけど、WWWでは誰からも制約されずに大資本の出版社や新聞社、企業と同じ土俵での即時情報発信が可能。インターネット上では公開日記の登場で「天声人語」も数ある公開日記の一つに過ぎなくなってしまったと言っても言い過ぎではない。

    違いは「天声人語」の著者はそれがお金になるけど、日記者はお金にならない点。インターネットでお金を儲けている人はまだいないのだそうだけど、お金がどこでどう今後のインターネット利用形態に影響するか注目されるところ。

  • シカゴの 山本さん夫妻が日記を始めた。シカゴの街や音楽や商品取引市場の話しを聞かせてくれるらしい。氏はユーロドル金利先物のディーラーとのこと。そういうものが商品の一つとは考えてみたこともなかったけど、父が長年雑穀の売り買いをしていた関係で商品取引市場というものになんとなく親しみを感じる。父は短波で送られてくる雑穀相場を聞くために一日中イヤホーンを耳に突っ込んだまま仕事をしていた。30年以上も前の大昔の話し。

  • 1996年1月27日 土曜日
  • 晴れ、でも寒い

  • 冬季屋内陸上競技会に参加する娘を隣町まで送っていき、すぐに引き返すつもりだったけど結局半日つぶす。これは外で走れるようになるまで、ほとんど毎土曜日に開かれる。日頃の練習の小手調べという感じ。今日は高跳びと400mと800mX4リレーに出ることになっているという娘。朝一番に始まった高跳びを見た後12時半に予定されていた400mも見るつもりだったけど、競技日程が大幅に遅れてきたので、夫に後で迎えに行ってもらうことにして家に戻る。

  • 高跳びの記録は1位が娘と同じ学校の3年生の5フィート2インチ(157.5cm)。娘は4フィート8インチ(147.3cm)の自己最高記録。高跳びは背の高い子に有利かと思っていたがそうでもないらしい。1位の子は5フィート4インチ程でうちの娘より1、2インチ背が高いだけ。後ろ向きに背を反らせてジャンプし、背中から着地するスタイルだから、高校生のレベルではテクニックで決まるということのようだ。

  • 夫のバンドのwebページを作った話しを前に書いたけど、紹介を後回しにしたままになっていた。リンクはSex Clark Five。何でこんな名前にしたのか、その真意のほどは私にもわかりませんが、中身はSexともClarkともFiveともぜんぜん関係ありません。一度覗いて見てください。そのうち日本語版も作ることになっています。

  • Sex Clark FiveのページはYahooやInfoSeekに載ったのが1月の4日、ヒット数のカウンタを付けたのが9日。ヒット数は既に4500を超えている。私のYour Japanese GuestsはInfoSeekとYahooに入れてもらってからヒット数が飛躍的に増えたけど、それでも11月21日から数えて2976。これを見て、WWWは娯楽が主体の利用者が多いという結論を出すのは早計だろうけど、少なくとも、日米関係よりはパワー・ポップに関心がある人間の方がずっと多いことだけは確か。

  • 1996年1月26日 金曜日
  • 寒い寒いと思ったら、いつもは73Fに設定してある空調が68Fに設定してある。寒いはずだ。

  • 旅の話しを昨日終わらすつもりだったけど、予定していた時間に三船敏郎とチャールス・ブロンソンのRed Sunをテレビでやっているのに行き当たってそっちを見てからということにしたら、その後は眠くなって結局今日に持ち越し。

  • Red Sunで一番印象に残ったのは、身のこなし方の違い。座り方、歩き方、馬の乗り方まで侍とガンマンでは全く違う。着物履物が身のこなしに影響するばかりでなく、威厳のある立居振舞が侍を演じる上での1つの型になっていることは明らか。もっとも、身のこなしの文化的な違いというのは映画などで誇張されなくても結構目に付く。一度、娘と一緒に地震についての番組を見ていたら、東京の下町で避難訓練をしている場面が出てきた。皆小走りに走って避難する様子に、娘は日本人て変な走り方をするねというコメント。実は娘に指摘されるまでもなく、チョコマカと突っかけを履いているような走り方だなぁと思って見ていた所だった。下駄文化のなごりがそんなところに出てくる。

  • さて、旅の話しの続き。

  • Everglades Cityへ近づくと道の両側に湿地帯が広がり、野鳥の数が多くなる。畑作地帯で育っているから、田んぼは良く知らないが、湿地帯は収穫後の田んぼのような感じがしないでもない(実際に農地なのかもしれない)。Evergladesについては、どこをどう回れば良く見れるのか知っている者が一行の中にいなかったから、取り敢えず、National Park Serviceから出ているとMomが言っていたボートに乗って見ることにする。案内のパンフレットを見るとThousand Islandsを回るボートと、マングローブの林を縫っていくボートとがあることになっていたが、実際には前者しかない。

  • 1人11ドルで2時間近く、マングローブの茂る無数の小島の間を抜け、メキシコ湾まで出て戻ってくるだけ。その間ガイド兼キャプテンのパーク・レンジャーが舵を取りながら話し続ける。イルカが2頭しばらくボートの後について波乗りに興じる。観光客用に訓練してあるのではないかと思うほどのタイミングのよさ。その後はインデアンの貝塚の話しに始まって今日に至るまでの歴史や時折目の前に現れる野鳥の話し。あとは観光客へのアドバイス。この辺りは似たような島が無数にあるからボートで出て迷子になるのは簡単、でもパーク・レンジャーは暗くなったら捜索に出ないから覚悟して出るようにとか、アリゲーターに餌はやらないこと、向こうはあわよくば餌を差し出す人間ごと食べようと構えているんだからとか、この辺は新鮮なシーフードのレストランが沢山あるけど、寿司なんか注文してコックを困らせないこと、生魚の切れ端はこの辺では釣りの餌としてしか売っていないんだから等など。金髪を肩まで伸ばした34才のガイド兼キャプテンへ最後に拍手がわいたが、我が一行の中には"I wish he'd stopped talking now and then."と苦情の声も。

  • Evergladesはマングローブの林とcypress tree(辞書によるとイトスギ)や松などの森とriver of grassとか呼ばれる湿原からなるのだそうで、マングローブの林をボートから見ただけでは何も見た気がしなかったから、近くにboardwalkがあると言うのでそこにも寄ることにする。これは湿地に茂るcypress treeの森に入れるように作られた板張りの道。 boardwalkは亜熱帯植物の間を縫って30分程歩くと、直径10メートル程の沼の所で終わっていた。その沼には小さなアリゲーターが2匹見えた。

  • 思い付きでろくに調べもしないで行ったEverglades見学だから仕方がないけど、本当にEverglades見たのかなという感じ。手間隙掛けて取材されたテレビ番組で見るEvergladesとは比較するすべもない。

  • 1996年1月25日 木曜日
  • 晴れ、でも寒い

    LO THIS MORN..22 HI SO FAR THIS ADTERNOON..49 NO RAIN

  • 日の照っている間は家の中は暖かくなるけど、夜は寒い。最低気温が氷点下になると下の部屋で一晩中薪ストーブを燃やす。空調だけでは下の部屋があったまらない。この寒さ、今年はいつまで続くのだろう。

  • さて、昨日の話しの続きに戻るとしよう。日曜日にはNaplesEverglades Cityまで足を伸ばした話し。 Naplesはお金のある所にはあるものだという感じの町。ミシガンのお義姉さん夫婦の知人がそこでアーツ&クラフト・ショップを出しているというので寄ってみた。店は開いていたが、当人は日曜日で休み。色々趣味のものが置いてある。有り余ったお金の使い道に困っている人が買うようなものばかり。中でも目を引いたのは、往年のロック・スターや映画スターの顔をボディーの上に丁寧に描いたぴかぴかのオートバイとそれに腰を掛ける初老の男の実物大像。デートナのモーター・ショウに出した後、映画会社がどこやらに展示することになっているとか。それで誰がどうお金儲けをするのかはとんと見当がつかなかったが、Naplesというところはそういう商売が成り立つ所なのだ。お昼はChee Burgerとかいう店で3.5ドル(マクドナルドやバーガーキングではせいぜい2ドル)のハンバーガーを食べる。


  • 1996年1月24日 水曜日
  • 曇り時々晴れ

  • フロリダのフォートマイヤーへ行ってきた。先週の木曜日に発って月曜に戻る。今年の避寒地をフロリダ南部に決めたMomとDadがFamily Reunionに皆来てくれれば、宿代持つからというのに乗って初めてのフロリダ南部。我が家の滞在は正味金土日の3日間、Reunion全員の顔が揃ったのは土曜日だけ。何やらあわただしく過ぎた。出発からしてあわただしかった。飛行機が午後6時10分発。夫はどうしても変更できないアポイントメントが5時まであって、私と娘が先に行ってチェックイン。オフイスから飛行場までは30分ほどだから、出発20分前には姿を見せるだろうと思っていたら、なかなか来ない。10分前になってようやっと着いた夫は、途中にパトカーが4台も出る大きな交通事故があって、交通はほとんど停止状態、路肩を走ってようやく事故現場を通り抜けることができたと言う。

  • メンフィスで乗り換えた飛行機で夫が隣に座った女の人に話し掛けたら、なんと3年の日本滞在から最近帰ってきたばかりだという。何でも夫君がアメリカン・フットボールのコーチで、日本のどこやらの会社のチームのコーチに行っていたのだそうだ。築地の市場の近くに3年住んで日本で生まれた娘が1人いる。事情は聞き漏らしたけど、フォートマイヤーは1人だけの里帰りらしかった。

  • 飛行機は東進する寒波の前線を抜けるときに機体がばらばらになるのではないかと思うほど激しく揺れる。着いたら、あいにくの寒波の影響でいつもは80F(27C)以上になるという気温が70F(22C)止まり。後にしたハンツビルは雪という話しだったから文句は言えない。sugar whiteといわれる白い砂浜で、水に入るには寒すぎるから、散歩したり、寝そべったり。次に到着するグループを迎えに行ったり、ランチだディナーだと言っているうちにどんどん時間が経っていく。

  • 旅先での楽しみの1つはその土地ならではのレストランを見つけること。フォートマイヤーは漁船の出入りがあるから、土曜日は新鮮な海産物を買える所や食べれる所を探すことになった。漁船が停泊している辺りを見て歩いたら大きな海産物の会社があった。小売りもしていて、そこでいろいろ聞いたら新鮮なシーフードを食べさせる所も教えてくれた。Backwaterという名の「食堂」はすぐに見つかった。表の看板に付いている実物大のフカの彫刻が目印。はっきり言ってぼろ家。食堂は裏と書いてある。表はバーになっている。中に入ると昼時を過ぎているせいか誰もいない。外のテラスにもテーブルと椅子が置いてあったからそっちに座ることにする。すぐ目の前に漁船やら釣り客用の大きなチャーター・ボート(1日250ドル)がつないである。対岸のマングローブの林にはペリカンの群れが止まっている。なかなか風情がある。

  • 出てきたウエートレスはヒスパニック系だろうか、少しアクセントがあるが美人で商売上手。後で分かったのだがこの人がここの女将さん。6人でsteamed shrimp, spicy shrimp, fried shrimp, fried grouperなどを各自めいめいに注文。私は牡蛎が新鮮だと言うので生牡蛎を注文する。期待と不安の30分。運ばれてきた料理を一口食べて、皆異口同音に発した言葉は"the best I've ever had"。夜にも今度は13名全員で押し掛け、シェフのマイクとも話しをする。30才前後だろうか、手抜きをしない料理に誇りを持っている様子。でも、自分は奥さんが作るメニュー通りに料理しているだけだと奥さんに花を持たせる余裕。

  • 日曜日にはNaplesEverglades Cityまで足を伸ばした。でもその話しは次回にしよう。

  • 1996年1月17日 水曜日
  • 曇りのち晴れ

  • 仕事をアップロードして、ファイルや電子メールを整理し、1息付く。そのうちコンピュータ・ソフトのマニュアルの質やら、翻訳業者の質やら、なぜ読めない日本語のマニュアルがはびこるのか、等など書くつもりだけと、今日は止めておこう。

  • でも、マニュアルは、訳すたびに思うのだけれど、読めば読むほど、訳せば訳すほど、日本語も英語も下手になって、頭の中もマニュアルのようになにやら無味乾燥になる感じがする。口直しに取り敢えず文春でも読むことにしよう。

  • フロリダのフォートマイヤーに着いたMomから着いたヨーという電子メール。ラップトップを持っていったらしい。

  • 車は今日もラジエータが届かなかったからと、修理が延期される。

  • 娘はRanma(乱馬?)なる日本のアニメに凝っている。暇ができるとそのビデオ・シリーズを借りてきて友達と見ている。アカネがカーネにしか聞こえないのには閉口するけど、英語の吹き替えはよくできている。内容的には男の子と女の子の描写がやたらステレオタイプなのが気になる。娘にどこから見つけてきたのか聞いたら、学校にRanmaマニア的なグループがあって、時々アニメの中のキャラクタのコスチュームを着て学校へ来る連中がいて、それでいろいろ聞いてその存在を知ったのだそうだ。昔から日本のアニメや怪獣映画はアメリカで人気があったようだけど、その伝統は今でも細々と続いているようだ。いや案外私が知らないだけで連綿脈々と続いているのかもしれない。そういえばライオン・キングは手塚治の漫画(題名は忘れた)の盗作だと騒いでいる連中がいる。

  • 1996年1月16日 火曜日
  • 曇り

    1月7日以来書いていない。仕事がほぼ終了してようやく書く気になる。

  • 娘は1月9日に無事自動車運転の本免許を取得。午前中学校を休んで取りに行く。

    娘が一人で車を運転できるようになったら使えるようにと、整備に出したばかり車のラジエータのホースが外れるという騒ぎ。新しいホースに変えてもらったのは良いが、ホースの取り付け口になっているプラスチックの先端が壊れていてホースがすぐに外れる。FireStoneでやらせたものだが、整備に出して壊れて戻ってくるとは、あきれた話し。FireStoneに連絡して掛け合ったら、ラジエータごと取り替えるしかないという。もちろん費用はあちら持ち。それにしてもこの車の整備に何日費やしたことか。代わりのラジエータはまだ届いていないということで、車は昨日からFireStoneに預けたまま。FireStone にはもう行かないことにしよう。

  • 14日金曜の午後にMomから電話。膀胱炎にかかって、午前中に医者へ行き、薬をもらってきて寝ているという連絡。抗生物質と痛み止めでやたら眠くなるので起きていられないと言う。Dadはあいにくミシガンへ行っていて留守だから明日の朝来て欲しいというリクエストに対して、今すぐ行きましょうかと言ったらその必要はないとの返事。夫に連絡したら、病気で寝込んでいると知っていて1人にしておくなんて非常識だと叱られる。結局、金曜の夜は夫が泊まり込み、土曜日に私が行くことになった。こういう時の義理の娘の立場というものはつくづく微妙だと思う。

  • 1996年1月7日 日曜日
  • 年が明けて1週間が経ってしまた。昨日の夜から雪。東部一帯を襲っている大雪のおすそ分け。10センチほど積もるという天気予報だったけど、細かい雪で朝までにはその半分ほどしか積もっていない。一日中降ったりやんだりしていたが、それでも大して積もっていない。日中少し日が照って道路の雪は少し溶けたが、日陰になっているうちのドライブ・ウェイは溶けなかった。うちのドライブ・ウェイはすっかり凍り付いている上に坂になっているから車の出し入れは不可能。おひる過ぎには早くも明日は学校を休みにするというニュース。

    夫は雪がめずらしい娘と一緒にソリ滑り。あちこちの坂道を試した結果うちのドライブ・ウェイが良いという結論に達したようだ。雪はぜんぜん降らない年もあるが、結構、年に1、2回降るから、ソリも備えてある。お隣はソリなどないとみえて、段ボール箱の紙をソリ代りにしてドライブ・ウェイを滑っている。

    娘の友達が来ているからどうやって来たのか聞いたら、お父さんが車で送ってくれたという話。車にチェーンを付けたのだそうだ。世の中には備えのある人もちゃんといる。うちではチェーンなど買ったことさえない。最も凍り付いた坂道ではチェーンも大して役に立たないかもしれない。

    昨日はBroadway TheatreのFive Guys Named Moの公演があったので、夜には雨が雪になるという予報だったにもかかわらず、雪が降り始めたとしても帰りの時間までに積もるほど急速に冷えないだろうと高をくくって娘と2人で出かけた。シーズン・チケットの席は結構埋まっていたが、当日売りの席はがらがら。インターミッションには雪が降り出したというアナウンス。今さら心配してもどうにもならないから、せいぜいショウを楽しんでくださいというアドバイス付き。10時過ぎにショウが終わって車へ。ドアが凍り付いていてすぐに開かない。道路もうちの近くに来ると、交通量の少ないところは雪が積もっているだけでなくその下に氷が張っていて滑る。考えて見ると雪道を運転したのはトリド以来だったかもしれない。

    今日は娘の16才の誕生日。明日は自動車の運転免許が取れると楽しみにしていた娘だが、この分では多分延期。


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