1997年6月13日 金曜日 − ボストン

  • ボストンへ行ってきた。姪がMedical schoolをめでたく卒業する運びとなったのを祝って親戚一同ボストンに結集したもの。大学に4年、Medical schoolに4年、さらに、外科が専門だからこの先レジデント(医局員)を5年やらなければ一人前になれないのだそうだ。

    今や医学生の50%は女性という学校も珍しくないという。大いに結構だと思うけど、子育ては30過ぎまで待つことになるのだろうかとつい心配になる。卒業式に赤ん坊を連れてきていた女医さんもいたから、生んでしまえば何とかなるのかもしれないけど、子育ての経験者としてはやはり大変だろうなと思う。レジデントでは自分のペースで仕事をするというわけにはいかない。

    ボストンは初めてだったから、一通りボストン観光をやって、MITとハーバードを覗き、水陸両用の「ダック」に乗ってボストン巡りをし、ジョン・ハンコック・ビルディングの60階にある展望台にも、Haneuil Hallマーケットにも行ってきた。ボストンはアメリカの独立戦争勃発の地だから、アメリカの歴史も少し覚えた。現在のボストンの半分以上は埋め立て地だということも初めて知った。

    おいしい生牡蠣も食べた。If it isn't fresh, it's not Legalというキャッチ・フレーズのLegal Seafood とかいうレストランで生牡蠣を注文したら、cultured or wild?ときかれた。I'm not sure.と答えたら、wildの方がおいしいというので、薦めに従った。目の前で丁寧に1つ1つ殻をこじ開けてお皿に乗せてくれた牡蠣は、よく冷えていてほのかな磯の香りが何ともいえなくおいしかった。このレストランは空港にも店を出している。日本のレストランやベーカリーもあちこちで見たけど、残念ながら寄る機会はなかった。

    大学の町ボストンは卒業式のシーズンで、卒業生の家族が世界中から来ていた。街を歩いていても英語より外国語の方を頻繁に耳にする。日本語も聞いた。ユダヤ系やイタリア系の人が多いのも目に付いた。

    娘はあと一年で大学。そろそろどこにするか決めなければならない。高2の後半から、全国テスト(SATとして知られている)の結果に基づいて、アメリカ中の大学から学園案内が毎日のように送られてくるようになった。ボストンにある大学も考慮の対象に入っているけど、近頃は家に近い方がいいかなぁなどと言い出すようになった。良い学校に行けるものなら、地球の裏側でも、借金してでも行かせてやりたいと思う反面、近くにいてほしいと思うのが親心。それが影響しているのかもしれない。ハンツビル地域の高校を今年優秀な成績で卒業した学生の行き先が新聞に載っていたのを見たけど、近くの大学を選んでいる人が意外に多い。

    ボストンは例年にない寒さで、外の寒さにさらされることが多かった割には、無事風邪も引かずに済んだと思っていたら、帰りの飛行機に乗ってまもなく、喉が痛いのに気が付いた。結局それが喉から鼻にかけて広がって、直るのに5日ほどかかってしまった。

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