ネットサーフ日誌:平成9年1月


1997年1月22日 水曜日 − 新解さん考、その1
  • 今週は少し寒さが緩み、今日は雨。

  • 「新解さん」−誰のことかと思ったら、新明解国語辞典の編集者、より正確にはその辞典の行間に読み取ることのできる編集者の人となりのことらしい。編集者の名前は秘密でもなんでもないから、赤瀬川氏の書いた「新解さんの謎」というのは、実際の編集者の人生体験や姿勢と辞書の内容を関係づけた議論かと思ったら、そうではないらしい。

    三省堂の新明解国語辞典は昔から愛用している辞書で、アメリカ暮らしが長くなってからは特に、この言葉にこんな用法があったかしらと自信が持てないときに重宝している。私の持っているのは第2版で、出版の日付を見てみると、First Edition 1972, Second Edition 1974とある。編集者は金田一京助、金田一春彦、見坊豪紀、柴田武、山田忠雄(主幹)の5人。

    一番新しいのは1989年出版の第4版で、編集者は金田一京助、山田明雄、柴田武、山田忠雄(主幹)の4人。文芸春秋社の新解さんに関するwebページで取り上げられている「面白い」項目を第2版の「新解」で引いてみると、新しい版によっているためであろう、内容が同じでないことが多い。たとえば[恋愛]と[愛]。ごそごそ、しかるべく、しげしげ、けろりと、面と向かって、世の中、も違う。修正されて良くなったとは言い難いところもあるのが気になるところ。

    恋愛:

    第2版では:
    れんあい[恋愛] 1組の男女が相互に相手に引かれ、ほかの異性をさしおいて最高の存在としてとらえ、毎日合わないではいられなくなること。「恋愛結婚」「恋愛関係」

    新解さんの謎:
    れんあい[恋愛]特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる状態。

    第2版に比べて何やら劇的というか、グラフィックというか。。。

    愛:

    第2版では:
    あい[愛] @愛情「愛の手をさしのべる・愛の告白・愛を誓う:友愛・博愛・恋愛・母性愛・人類愛・愛欲」Aそのものに尽くすことこそ生きがいと考え、自分をその中に投入させる心。「学問への愛」

    新解さんの謎(赤瀬川原平とねじめ正一の対談から引用すると):
    赤瀬川 【愛】はどうなってるの? えーと「個人の立場や利害にとらわれず、広く見のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の温かな心情恋愛」か。人類愛に郷土愛、自己愛、親子愛とかばかりで、こっちは女が出てこないね。(タイプミスは原文のまま)

    残念ながら第4版が手元にないので、恋愛・愛欲・愛人など男女に関係することが出てこないのかどうか、それは「漢字の造語成分」の枠の中で説明されているのかは確認できない。いずれにしても、第2版に比べて、人類愛的な愛の説明に多大のスペースを費やしていることはうかがえる。これと対照的なのがねじめ氏の発言に見られる愛の用法。

    ねじめ 「人間本来の暖かな心情」っていうけど、愛って暖かじゃないよね。叶わぬ愛ってあるじゃないですか。いや、むしろ愛ってのはさ、叶わないから愛でしょう。

    始め「叶わぬ愛」というのは「叶わぬ恋」のタイプミスかと思ったのだけど、アイとコイを打ち間違えることはあまり考えられないし、文脈からしても、タイプミスではなさそうだ。ということは、少なくとも、ねじめ氏にとっては愛と恋の意味・用法の違いが明確でなくなってきているということであろう。ひょっとして、これは日本語の「愛」が英語の「love」に近くなって来ているということなのだろうか。

    和英や英和辞書を引けばすぐ分かることだけど、英語では男女間の恋や愛の話をするときは恋も愛もloveで用が足りる。初恋はfirst love、恋に陥って恋焦がれる状態は"in love"、叶わぬ恋は"unrequited love"とか"hopeless love"、愛の告白は"I love you."、愛し合って「合体」の運びとなれば"make love"することになり、そのような関係は"love affair"と呼ばれる。日本ではこのようなlove=愛の用法にさらされて、日本語の恋と愛の区別までがあいまいになって来ているのだろうか。

    言葉は生き物。時代とともに用法が変わっていく。それをどう反映していくか、そこに辞書編集者の見識や言葉に対する感性が現れる。もともと大和言葉にぴったり対応した言葉を持たない「愛」という言葉とその概念。時代の流れに逆行するように見えるこの[愛]の定義の修正は、日本人がいまだにその扱いに戸惑っていることを反映しているのかもしれない。

    他にもいくつか気が付いたことがあるけど、それは又の機会に書くことにしよう。

    ちなみに、英語では恋にも愛にもloveを使うとはいえ、英語で暮らしていればloveだけで用が足りない場面も多々ある。会いたくても会えない恋しさは"I miss you."と言わなければ伝わらない。loveの用法はともすれば愛情より色情に傾きがちだから、男女間の愛情の話をするときにはtender feelingやcaringなど別の言葉を選ぶ必要が出てきたりする。反対に色情を強調するときにはlustを使う。


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