ネットサーフ日誌:平成8年4月


1996年4月8日 月曜日
  • 昨日はEaster Sunday、いわゆる復活祭。その前の金曜日はGood Fridayといって、キリストが十字架にかけられた日を記念する日。金曜日は午後半日休みにする所もある。Easterはユダヤ教のPassover、過越の祭りでもある。こっちの方は7日間、特別のご馳走(中でも種なしパンは必須)を食べて、ユダヤ人がモーゼの先導でエジプトから脱出したことを記念するお祭りと物の本に書いてある。Passover(過越)という名前の由来は、脱エジプトの前夜にユダヤの神がエジプト人の長子を皆殺しにしたとき、ユダヤ人の家を避けるのに、ユダヤ人の家の門柱に小羊の血を塗るようモーゼに指示したという話しに基づく。キリストはこのお祭りの最中にエルサレムに殴り込みを掛けて捕まったということらしい。

    うちではEaster candy以外はEasterといっても特別なことはしない。娘が小さかったときは色とりどりのEaster dressを着せて教会へも連れて行ったけど、娘が興味をなくしてからはそれもしなくなった。もっとも、Easter Candyはバレンタイ・デーが終わると次の日から店頭に並ぶから、卵やウサギを型取ったチョコレートやマシュマロを主体としたキャンデーはEasterになるずっと前から食べている。

    小さな子供達には、「Easter bunny(ウサギ)が卵を隠して行ったから見つけよう」と言って卵探しの競争をさせるのがEasterの行事になっている。卵と言っても、ゆで卵に色を付けたり、模様を描いたりしたものの他に、卵型をしたプラスチックの容器にキャンデーを入れたものが加わる。うちではこの行事もすっかり形骸化して、Easterバスケットにキャンデーを入れてEaster Sundayを迎えるだけ。

    とは言っても、カソリック育ちの夫はキリスト教の解釈には興味があるらしく、The Last Temptation of Christが出て以来、それを見るのをEasterの行事と決めて毎年見ている。何回も見ると以前印象に残らなかったことが目に留まったりする。今回目についたのは、ご馳走あるいは神前に供するために次々と屠殺される小羊から流れるおびただしい量の血。その血がボールにあふれ、あるいは神殿の下水に流れる。牧畜民族と農耕民族の血に対する感覚の違いなのだろうけど、血=汚れ、という感覚の私にはなんとも「神聖」とは程遠い祭りの場面である。

    The Last Temptation of...ではキリストは自ら十字架での死を工作したけれども、最後のぎりぎりまで迷いを断ち切ることができなかったという想定で作られている。人が死んで神仏になる(として崇められる)というのは世界的に見られる現象だから、キリストが救世主として、神として崇められるには死ぬのが手っ取り早い方法だという結論に達したとしても別に不思議はない。それは動乱の世の中で、一人の人間が変革の象徴になるために自己の小市民的な幸福をひいては生を全面的に否定するにいたる経過を理解しようとする試みという風にも見れる。

    それにしてもEasterというのはややこしい。他の祝祭日と違って毎年同じ日にやってこない。なんでも、春分の日(3月21日)の後の最初の満月の後に来る日曜日と決められているのだそうだ。だから月歴と太陽暦の組合わせで3月22日から4月25日まで変動する。


  • ホームページへ|日誌インデックスへ|お便りは eueda@hiwaay.net上田悦子